つきみかふぇのらいとのべる

ちょっぴり苦めのコーヒーをどうぞ

エーデルシュティメ 第2話『オトメゴコロの目覚め』(後)

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 食卓の中央に置かれた大きなお皿の上にはいかにもカリッとした鶏の唐揚と、まだ採れたてと思われるしゃりしゃりなレタス、そこへ真っ赤な艶のあるトマトが彩りを添えている。見た目以上に簡単ではあるけど、共同生活初日の夕食は、ちょっとした歓迎パーティーともなった。パパから送られてきた食材を私が少しずつバラし、上杉さんが鶏肉を上手に揚げ、大樹くんオリジナルのドレッシングを使ってサラダを丁寧に並べていた。残念なことに大樹くんも思いの外料理が得意そうに見えたので、女子力勝負では私もうかうかしていられないことが判明する。

「うん、美味しい。上杉さん料理が得意そうだね」
「鶏の唐揚については食材がいいからだよ。むしろ深澤くんの方が味付けが繊細そうだな」
「俺はずっと自分で食べる分だけは自分で作ってたから。それよりこれ……」

 大樹くんの口元を巨大な鶏の唐揚げが襲った。大樹くんは必死にがぶりつこうとするが、やはりそいつの巨大さは一筋縄では行かないようだ。まったく誰がそんな不格好な形に鶏肉をバラしたのだろうかね。
 ……とりあえず話を逸しておくか。


「そういえば上杉さんも親に言われてこの部屋に住むことになったんだっけ?」
「うん……。突然昨日、話はつけておいたからって」
「やっぱり昨日なんだ。私もほんとなら自宅から通うはずだったのに、昨日の朝になってパパが『今後のためにも家を出て寮に暮らせ』とか言ってくるのよ」
「そう、僕もそんな感じだ。あまりにも突然過ぎて、何がなんだか……」
「しかもまさか男子寮住むことになるとはちょっと予想してなかったけどね」
「ちょっとどころじゃないだいぶ想定外すぎるだろそれ」

 ここで一番の猛反発を見せたのは、私でも上杉さんでもなく大樹くんだった。嫌悪感を示すようなそれは少しばかり違和感があるし、こんな可愛い女子二人を前にしてちょっとばかし見過ごせない発言かな。

「そもそもこの学校、今までこういうことはなかったのか? 女子が男子寮に暮らすって」
「私が知ってる限りでも聞いたことないよ。兄の方が男子寮に住んでたけど、妹もうちの学校へ入学が決まった途端、近くのアパート借りてそこへ引っ越したみたいな話なら聞いたことあるけど」
「ま、それが普通だよな……」

 少なくともここは男子寮だし、ごく普通の女子生徒が暮らそうならそれなりの覚悟が必要になる。だから大樹くんの納得にも私は同感だった。私や上杉さんが普通の女子高生ではないのは承知の上で。

「そしたらなんで僕たち、ここにいるんだ……?」

 となると上杉さんの言うとおり、そこへ疑問が落ち着いてしまう。

「う〜ん、やっぱしあれじゃない? 私と上杉さんの共通点から考えるとさ……」
「ま、そういうことになるな」

 そして、わかりきってるとばかり私と上杉さんの視線は自ずと大樹くんの方へ向かうわけだ。

「……は? どういうことだ!?」

 だけど唯一何も理解していないであろう大樹くんは、そんな女子二人の冷たい視線に躊躇するしかなく、完全に目が泳いでいた。

「君って……本当に何も知らないの?」
「待て。言ってる意味がさっぱりわからん」

 私は鋭い猫のような目つきで大樹くんの顔色を伺ってみる。だけどどれほど誘ってみても大樹くんのやや赤らめた顔は明らかに知らぬ存ぜぬの一点張り。ちっとも面白くない。

「そもそも深澤くんの家って、妹が一人の四人暮らしだよな?」
「あ、ああ。てかよく知ってるな?」
「え、なに? ひょっとして上杉さん、大樹くんのこと興味あるの? 実は昔から大樹くんのこと好きだったとか……」
「違う。そうじゃなくて、深澤くんこんなだからクラスが違っても度々女子の間では噂になってた。それを僕が意図せず聞いたことあるだけだ」
「ああ、そっちか……」
「ちょっと待て。俺がこんなって本当にそれこそどういう意味だ!?」

 実はそういう噂なら私も教室で今朝聞いたばかりだった。『あのイケメン君、違うクラスになっちゃったね』的なそれだ。恐らくは先程上杉さんの会話の中に出てきた同じ中学出身の女子の会話だったのかもしれない。なるほど。最近の女子高生というのはこんな草食そうな男子の顔に弱いのかとも思ったほどだ。ちなみに私はそんな顔なんかよりも、大樹くんのこの無愛想な性格の方が興味ある。なんてったってこれほど弄りやすいものはない。

「妹とは、仲が悪かったのか?」
「別にそういうわけじゃない。……ただ、あいつとは血が繋がってなかったから、なんとなく」
「血が繋がってないって、親の再婚相手の連れ子とか?」
「いや、そもそも俺はあの家族とは誰とも血の繋がりを持ってないんだ」
「どういうことだ?」

 私には若干の戸惑いのあるその話を、上杉さんは何の躊躇いもなく聞いていく。大樹くんも特に気にしていない素振りを見せていて、二人のこのさっぱりとした性格はどこか壁のようなものを感じてしまう。

「今の俺の家族は、母親の再婚相手である父と、さらにその再婚相手である偽りの母。そしてその二人の娘が俺の妹だ。俺の本当の母親はとうの昔に死んじまってる」

 と、大樹くんはあっさりそう答えるが、頭の回転が激遅である私の場合、指を折りながらその意味を理解するのがやっとだった。ようやく大樹くんの言ってる意味を全て理解して、大樹くんが全てを話していないことも理解する。
 つまりこの話の犯人は、どうやらその部分にあるようだ。

「な〜んだ。結局犯人は大樹くんってことか」
「ああ。僕も理解した。何者かは知らんが、ようはそいつがキーパーソンってことだな」
「おいっ! 今の話で何をどこまで理解したって言うんだよ!?」

 ま、そこまでわかったのなら大樹くんにこれ以上辛い話をさせてしまうのは野暮というもの。残りの謎は私が小さい頃からお世話になってる執事さんに頼んで調べてもらえばわかると思うけど、とはいえ急ぎとも思えないこの話は、私には完全無関係のどうでもいい話だった。深い溜息しか出てこない。今は毎日が楽しければそれでいいし、保留でいいだろって。本当に実にくっだらない残念なお話なのだから。

 が、上杉さんの方はと言うと、急に何かをふと思い出したように再び悲鳴のような声を上げたんだ。

「ってちょっと待ってよ。そっちの件は解決したけど、僕の裸を見られた件は何も解決してない!」
「待てよ。今の話で何がどう解決したっていうんだよ!?」
「そんなのこっちの問題。あんたが鍵を壊すほどの覗き魔なら、僕は全然信用できないんだけど!」
「だからあれは完全に誤解だ! 俺は鍵を壊してなんかない!!」

 上杉さんの顔は目の前に転がるトマトのような深い赤みを帯びていた。その隣の上杉さんのグラスに注がれたあの真紅色の飲み物は、実はジュースじゃなくてワインだったのだろうか。それほどの唐突な豹変ぶりに、大樹くんよりも私のほうが拍子抜けしてしまいそうだ。ちょっと楽しくはあるけど。

「そうだよね〜。大樹くんが女子の裸に興味がある以上、私も洗濯物とか気をつけないと」
「僕の下着にも興味があるのか? このケダモノめ!!」
「ここまでの話の飛躍がどうしてそうなるんだよ!!」

 上杉さんは完全に獣を睨むような目で、大樹くんに冷たい視線を浴びせ続けている。一触即発モードのリングと化してしまったような部屋の空気は、バチバチとした熱気さえも放たれる。雷のような快楽と安心の二文字が、私の胸を暖かくほぐしてくれた。
 なるほど。これから同じ部屋で暮らしていくのに、正真正銘の男子と、心はほぼ男子である女子が相手だと、どうしたって私の方が分が悪くなってしまう。だけどその不安はようやく払拭できた感じかな。

 とはいえ、正直なところ大樹くんが鍵を壊して女子風呂を覗こうとしたとは思えない。大樹くんはあの時、私にからかわれて顔を洗いに行っただけ。鍵を壊す余裕なんて到底なかっただろうし、事実鍵は壊れていない。男子寮への引っ越し後の初日から上杉さんが鍵をかけ忘れていたとも考えにくく、私も上杉さんに頼まれて、外側から鍵がかかっていることを確認してたんだ。

 つまり、誰かが鍵を開けた。……誰が?
 これって、私と上杉さんがこの男子寮に閉じ込められた以上のミステリーがあると思うのだけど。

 私としてはなぜその点に誰も突っ込まないのか、そっちの方が疑問なのだけどね。


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