つきみかふぇのらいとのべる

ちょっぴり苦めのコーヒーをどうぞ

エーデルシュティメ 第3話『唐突な小さな来訪者と私』(後)

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「君、喋れるの?」

 私はカメレオンのぬいぐるみに対して、こんな質問をしてみる。
 もちろんそれだっておかしな話だ。だって相手は一見するとちょっと薄汚い感じのぬいぐるみだよ。

「もちろんだよ。喋れるに決まってるじゃん! だってボク、カメレオンだよ?」
「…………」

 そんなこと知るか。なぜなら君はどこからどう見たってぬいぐるみだよね!?
 当然ながら口は動いていない。口も動かせずに喋れるなんて、天と地がひっくり返っても無理というもの。それ以前にぬいぐるみだろうとカメレオンであろうと、人間の日本語を喋るというのがあまりにも間違っている。奇天烈以外の何者でもない。

「あ、そうそう。さっきイタズラして、お風呂場の鍵を開けたのもボクだから」
「ちょっ!!!」

 そしてあまりにも唐突な自白に、私は思わず次に返す言葉さえ見失ってしまった。
 カメレオンのぬいぐるみは、手足をバタバタさせてこちらの方へ向かってくる。その動きはそれこそゴキブリのような身振りで、鍵を開けたというのもそれなりの説得感があるようにもないようにも見える。とはいえ、その手足をバタバタさせる姿はどこかぎこちなく、むしろ絶望的な不安感しか生み出さないのだけど。

 ……いや、やっぱしその短い手足でお風呂場の鍵を開けるとか、絶対無理でしょ!!


 カメレオンくんはベッドの下から照明灯の光が届く場所まで出てくると、ぴょんとジャンプして、私の頭の上に飛び乗った。そのまま私の首筋、背中をつたって、ベッドの上までたどり着く。見た目以上には運動神経抜群のようで、私を拍子抜けさせるには十分すぎる力を持っていた。というか何の躊躇いもなく勝手に私の身体を踏み台にしないでくれるかな。

「この身体、あんまり派手に動くとすぐにバッテリー切れを起こしちゃうんだけどね」
「そ、そうなんだ……」

 そして急にリアリティーのある単語が飛び出すと、もはや脱力感しか生じてこない。どこまでがウケ狙いで、どこからが本気なのだろう。その奇怪な言動でこの私を手玉に取るとは、なかなかの手練なカメレオンくんだ。私はどこかやりきれない想いを感じながらも、カメレオンくんをまじまじと観察し始めた。

「よくできた身体でしょ? ボクもこれ、気に入ってるんだ」
「それ以前にいろいろ説明してもらわないと、私も頭がついてこれないんだけどな」

 私は体勢を立て直し、ベッドの上に腰掛けると、今度は私の膝の上にぴょいと飛び乗ってきた。まるで頭を撫でてほしいかのような場所でじっとしてしまい、私はそれを軽くスルーする。いつまでもこいつのペースでいられるのもやはり釈然としないんだ。

「ちなみにモーターとか探しても無駄だよ。全部フェルトの中に隠れてるもん。碧海ちゃんが何かを見つけられるとしたら、スピーカーくらいなもんかな」
「あ、そう……」

 それしか返しようがない。今度は自分がロボットであることを自白されて、だからどうしろというのだ。私の名前を呼ばれたのには多少驚いたけど、上杉さんが風呂場にいた頃からこの部屋に潜り込んでいたのだとすると、私達の会話の内容から私の名前を察したのだと納得がいく。
 とはいえよくできたロボットだ。恐らくこの寮の生徒の誰かが作り上げたものが、私の寝室に紛れ込んでしまったのだろう。本来ここは、高校の入学試験時に提出する研究論文が特に優秀だった生徒しか住むことができない。つまりはうちの学校の生徒の研究成果物が、このカメレオンくんってことなのだろうってこと。
 あ、ちなみにさっきの本来の言葉の意味は、どこかの誰かさんは例外ってこと。ほんとあんな堅苦しい論文を書くなんて、到底無理ってやつだもん。

 おやっ……と視線を落とすと、口元あたりに小さなスピーカーを見つけることができた。つまりはこのカメレオンくんの声の主だ。予想以上に小さかったので、私はそこに一番の興味を抱く。

「みーっけた。それにしても君の声って、本当に綺麗な声をしてるよね?」

 そのスピーカーをくすぐるように、軽く撫でてあげる。カメレオンくんは特に嫌がる素振りさえ見せず、むしろ喜んでいるかのようだった。とはいえぬいぐるみだけに、顔の表情は常に変わらなないのだけどね。

「ボクのご主人様、声に対して特に注力してたみたい」
「ご主人様?」
「そう。この身体を作ってくれた人。それがボクのご主人様」
「きっとその人、素敵な心の持ち主さんなのかもしれないね」

 じゃないとこんな声、作れないと思う。音声合成ってやつ? 私も声優という仕事柄、多少その仕組み自体は知ってるつもりだった。ただし、人の声を単純に学習させただけではこうはならないはず。恐らくは数え切れないほどの感情パターンを何重ものエフェクトとして学習させ、複雑なネットワークモデルを経由してようやく出力された声なのだと推測できる。想像するだけで気が遠くなる作業で、もし私がカメレオンくんのご主人様なら絶対手抜きをしてしまい、もっと機械音のようなロボット声になったに違いないのだ。

「でもボクのこの声は、今の技術の賜物だけでは絶対に発声できないと思うけどね」
「それって、どういうこと?」

 するとカメレオンくんは前足をくっと前に伸ばした。その様子はどこか私を威嚇するかのようで、なぜか勝ち誇った態度にも見えなくもない。その不細工な動作だけではそうは思わないのだけど、挑発的なカメレオンくんの声が何よりもそれを現していた。

「碧海ちゃん、実は幽霊って嫌いでしょ?」
「……えっ?」

 な、何を言っているのかな……?

「だってさっき碧海ちゃんがこの部屋に入ってきた時、明らかにボクを威嚇する声で『誰!?』って叫んでたし、お兄ちゃんやご主人様が気にも留めてなかったお風呂場の鍵のことを、ちゃんと碧海ちゃんだけはしっかり心配してるご様子だったしね」
「お兄ちゃん? ご主人様??」

 突然情報量が増えた。つまりそれっていうのは……。

「言ったでしょ? あの鍵を開けたのはボクだって。でもボクのこの手で、本当にあの鍵を開けられると思う?」

 カメレオンくんはぴらっぴらのフェルトでできた前足で、私の膝の上を叩いてくる。当然だけど、痛くも痒くもない。これも当たり前なのだけどその反動でカメレオンくんの前足はぺきっと折れ曲がって、それこそ不格好な形へと変形してしまう。

「……だから、さっきから何のことを言ってるのかな?」

 硬い部分があるとすれば前足ではなく、前足の付け根の辺りだ。恐らくこの中にモーターなどが埋め込まれていて、先程見せたジャンプするためのギミックが隠されているのだろう。もちろん何かを掴むためのそれではないため、お風呂場の内鍵なんて動かすことはできなそうだ。

「でも碧海ちゃんのすごいところはそうやって気高く強がってるところかな。ボクはそんな碧海ちゃんのこと、大好きだよ」
「だから、何の……」

 何の話をしているの……?

「だけどさ、本当にそれで大丈夫なの?」

 頭の中が真っ白になっていく。情報という情報をひたすら投げつけられて、私の顔は恐らくサンドバックのようにずたぼろになってるはず。とても見られた顔じゃなくなってるに違いない。それでも必死に頭の使える部分だけをフル回転させて……私はどうにかその疑問だけを見つけ出した。

 ――だから君は、結局何者なの!?

「あ、やっぱし緑川さんのところにいた。声が聞こえたからここかなと思って」
「お帰りなさいませ。ご主人様!」

 声と共に私の個室に入ってきたのは、上杉さんだった。カメレオンくんは私の膝下でジャンプをすると、ぴょんぴょん飛び跳ねるように『ご主人様』と呼ぶ上杉さんの方へと駆け寄っていく。

「お帰りなさいませじゃないでしょ。僕たちの部屋はここじゃなくてあっちなんだから」
「なんだよ〜。透ちゃんノリが悪いな〜。ひょっとしてそういう遊びがあるの、知らないの?」
「何のこと? あ、それより緑川さんにこの子が迷惑かけちゃったみたいだね」
「あ、ううん。私は特に大丈夫だよ」

 大丈夫か……。私はそう答えておきながら、自分が答えた回答に自信が持てなくなった。別にカメレオンくんが悪いというわけではなく、私は私の問題なのだろう。
 それよりむしろ上杉さん、ひょっとして本当にそういう遊びのことを知らないの?

「碧海ちゃん、遊んでくれてありがとう。また遊び来るね!」
「……ちょ、ちょっと〜」

 だけどカメレオンくんには聞きたいことや言いたいことが山のようにあり、その反面、私の悲鳴はあまりにも小さすぎた。上杉さんは『行こっ』とカメレオンくんを呼んで私の部屋から出ていくと、カメレオンくんもご主人様の背後を飄々と歩いていった。恐らくカメレオンくんの方は私の声が聞こえていたのだろうけど、振り返ることなどはしてこなかったんだ。

 つまりカメレオンくんは、上杉さんが作ったカメレオンくんであって、本当はそうではない……?

 何よりあのカメレオンくんは、いくつか引っかかる単語を口にしていた。
 『幽霊』、『お兄ちゃん』、そして『ご主人様』……?

 上杉さんは一体本当に、何を作ったというのだろう?


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