つきみかふぇのらいとのべる

ちょっぴり苦めのコーヒーをどうぞ

エーデルシュティメ 第4話『嘘と笑顔の狭間で』(後)

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 右側に上杉、左側に緑川。
 そして、目の前には青色の水彩絵の具で塗りつぶされた海岸線が広がる。

「でも今日は晴れて本当に良かったね」
「いつも暇してるはずのお前が、突然『明日行こ』とか言い出すから訳がわからないことになったんだろ」
「だって先のことなんて見えないじゃん。だったら行ける時に行くってのが鉄則みたいなもんでしょ」
「だからって、唐突すぎないか?」
「それとも大樹くん。こんな可愛い女の子二人とダブルデートしてても、全然楽しくないのかな?」
「「!?!??」」

 今日の目的地は、江ノ島の対岸にある水族館。確かに格好のデートスポットと言ってもあながち間違ってはいない。

 昨晩の天気予報では、今日は雨予報のはずだったんだ。それがこの状況、俺は春の陽気のせいだろうか、頭がおかしくなりそうだ。どこかぼんやり上の空を見つめていたが、右側にいる上杉がいつもどおり睨みつけていることに気づくと、ふと我に返ることができた。これが平常運転なのもどうかと思うが。

「てかそれ、ダブルデートの意味が確実に間違ってるだろ!」
「なにそんな怒ってるのよ? デートをつまらなくさせたい意図でもあるわけ?」
「べ、別にそんなものはないけど……」
「それならこうやって大樹くんにえいってくっついても全然平気なわけだ」
「「!?!?!??!??」」

 突如緑川が思いっきり身体を寄せてくる。俺の左腕に緑川の柔らかいそれが、体温と共にひしひしと伝わってきた。てかこれ、ちょっと何かが触れてる気がするのだけど。
 ただしそれ以上に右側からは熱量の高そうな圧が襲いかかってくるわけで、本当に一体どういう状況なんだ?



 『三人で江ノ島へ行こう』、昨日そう提案してきたのは上杉だった。

 高校の授業が始まり、一ヶ月くらい経って、互いの生活にも丁度慣れてきたところ。俺は音響学の研究、上杉は音声学の研究にそれぞれ没頭し、緑川は二人の間を僅かに邪魔しながら自分の仕事である声優業に勤しんでいる。
 緑川の場合、声優としてはまだ売れっ子というわけでもないらしく、特に仕事が多いわけでもない。とはいえ、土曜の夜の決まった時間になると『オンエア中〜騒音厳禁!』という立て札が緑川の部屋の前に掲げられ、俺と上杉は否応なしに静かな生活を強いられるわけだ。どうやらこの時間、動画サイトで自分のチャンネルのライブ配信をしているらしい。それを見つけたのは上杉で、緑川は『恥ずかしいから絶対聞かないでよ』などと反発していることもあった。とはいえこれも恐らく嘘。本当に恥ずかしいと思ってるなら緑川はそもそもライブ配信などしないはずだ。その辺りの内部事情も、だいぶわかるようになってきた。

 上杉がみんなでどこか出かけようと声をかけてきたのは、まさにそんな日常の最中だった。
 ところがどういうわけかいざ出かけようとなると、三人とも全然予定が合わず、特に緑川の予定は来週以降ぎっしり埋まってるとのこと。なので緑川は、『そしたら明日三人でダブルデートへ行こうよ』と謎の文言を出してきたわけだ。

「でもせっかく三人のダブルデートで水族館に来たってのに、その目的が実験素材の回収とか、さすがに透ちゃんほんとにどうかと思うんだよな」
「だからデートじゃないって何度も言ってるだろ」

 緑川の発言に俺が反発すると、やはり上杉がすっと俺から距離を取ってくる。この間は本当に何なのだろうと思わないこともない。
 水族館散策の終点の地、売店。俺らは一通りぐるりと水族館を廻ってきたわけだけど、結局ずっとこんな調子だ。親睦が深まったのか、それともむしろ遠ざかっただけなのか、正直どちらとも言い難かった。

「べ、別に、僕は一人で回収に来てもよかったんだが、深澤くんこれでも女子達には人気あるし、そんな男子とデートしたらどんな気持ちになれるかって、す、水族館だけに一種の実験みたいなもんだ」
「おい。それ以上の意味深発言はとりあえず止めてくれ頼むから」
「じゃあ多数決の結果、やっぱしこれはダブルデート確定ってことでオーケーだね!」
「…………」

 別に勝手にそう思ってもらう分には構わないが、俺は断じて認めないと言うより、もはや反論する気すら起きない。

「ま、君のそういうクールな反応が乙女心をくすぐらせるんだって、そろそろ認めた方がお得だと思うけどな」
「だから俺の顔色から全部悟ったような反応も頼むから止めてくれって」

 そもそも俺はクールなのか? 何がどうお得なのかもさっぱりわからないのだが。

 本日のダブルデートとやらの目的地が水族館になったのは、さっき緑川が言ったとおりで、上杉が研究している音声学の実験素材を回収しに来たこと。数日前に上杉は一人でこの水族館に訪れ、飼育員さんに水槽にマイクを取り付けてもらえないか頼んでいたらしい。飼育員さんは上杉がうちの学校の特待生であること、マイクが水族館用に製作された魚に害を及ぼさないマイクであることを確認すると、実験成果を水族館にも提供してもらうことを条件にして、快く協力したとのことだ。とはいえ、こんないかにも専門性の高そうなマイクを女子高生が所有してること自体もおかしな話で、さすがは山崎上杉家の一人娘と思わないこともなかったけどな。
 ところがそんな上杉の真面目な話に、奇妙な反発をしたのが緑川だったんだ。『なんで水族館みたいな場所におひとりさまデートなんてしに行ってるのよ?』と。

「でもよかった。透がおひとりさまデートを卒業してくれて」
「うん。碧海さんのおかげで、僕も男子とデートするという実績を解除することができた」
「……おい。上杉は上杉で緑川の発言に流されすぎだ」

 てか『おひとりさまデート』ってどんな日本語だ? ただしどうあっても二人は今日のこれをデートという流れにしたいらしい。というより上杉の場合、半ば妥協のようななにかに見えないこともなかった。そうでなければなんだというのだろう。
 さっきまで怒っていたように見えた上杉は、小さくくすりと笑みを零している。

 緑川は上杉の笑顔を確認すると、これでよしと言わんばかりに俺と上杉から離れ、売店内を一人で散策し始めた。足を止めた場所は大きなぬいぐるみが並んでいる場所。これいいな〜と言う顔で、両手で巨大なサメのぬいぐるみをえいっと抱えてみる。最近は某外資系の家具屋でサメのぬいぐるみが飛ぶように売れてるらしいが、どうしてあれがそんなに人気あるのか、実物を見てもやはり見当がつかない。
 というかそんなでかいもの、あんなに散らかった緑川の個室に置く場所なんてあるのか?

「あんなでかいのをモーターで動かそうと思ったらやっぱり大変だろうな」
「…………」

 そしてこれは上杉のやや斜め上な感想。ちなみに上杉のペットでもある例のカメレオンのぬいぐるみは、鞄から顔だけひょいと出し、その様子をちらちら伺っている。

「ひょっとしてカメレオンくんは巨大なライバル出現に危機感を持ってたりするのか?」
「そんなの持ってるわけないじゃん。たかがぬいぐるみごときだよ?」

 俺の質問にカメレオンくんはあっさり返してくる。てかお前もぬいぐるみじゃないのかよ?

「ボクの興味の対象は、ご主人様である透ちゃんだけだよ」
「お、おう。……仲がいいんだな?」
「そんなの当然じゃん。ボクの身体を作ってくれた命の恩人みたいな人なんだから」
「なるほど。命の恩人か」

 妙に説得力があった。AIにとって、その創造主は命の恩人そのものなのかもしれないと。作ってる側はそんなつもりはないのだろうが、言われてみるとそういう結論にも達することができそうだ。

「よく言うよ。カメレオンくん、僕と二人でいるときは大樹くんの話ばかりしたがるくせに」
「え……?」
「あ〜コラ! それ絶対お兄ちゃんの前で言っちゃダメなやつ! それ以上言ったら怒るよ?」

 俺も普段は十分無表情だが、カメレオンくんほどのそれではない。カメレオンくんはその構造上、顔色一つ変えることできず、声だけで怒った態度を示そうとする。それが冗談なのか本気なのか、判別できないにもほどがあるが。
 とはいえ、俺はこのカメレオンくんと二人きりで会話などしたことないし、むしろ嫌われてると思ってたくらいだ。なので上杉の言ったことには若干矛盾さえ感じたくらいだった。

「逆に碧海さんのことはあまり話そうともしないよね?」
「別に、そういうつもりじゃないんだけどね……」

 今度のカメレオンくんは口ごもってしまった。急に何か話したいものを見失ってしまったかのようで、ただの我儘を示しているかのようにも思えた。俺が解釈しているAIの反応とはやはり少し異なっている。

「ね、カメレオンくん。今度は碧海さんともうまくやってくれると嬉しいんだけどな」
「だって、ボクは……」

 そう。それはまるで人間の反応のそのものにも見えたんだ。

「ボクは、碧海ちゃんの嘘つきなところが本当に苦手だから」
「嘘つき……?」

 しかもその回答は、俺らが予想していた反応よりずっと真面目な回答そのもので。

「そうだよ! 碧海ちゃん、嘘つきだよ!! いつも作り笑いばかりでさ、あんなのボク許せないよ!」
「作り笑いって……?」
「今だってずっと嘘ついてる。ボクらを信用してくれてないのかな?」

 あまりに現実的な反応で、俺と上杉は思わず顔を見合わす。無言のまま『そうなの?』とお互い答え合わせをしていた。

「だからボクも碧海ちゃんのことは信用できないし、やっぱし大っ嫌いだよ!」

 すると緑色のフェルトに綿がぎっしり詰めこまれた小さなその身体は、軽くひょいと持ち上げられてしまった。上杉の鞄の中にすっぽり収まっていたカメレオンくんは、不格好な手足を不器用にばたつかせ、その大きな両手から脱出しようと試みる。だけどその両手の主はがっしりカメレオンくんの身体を掴み、残念ながらカメレオンくんの小さな願いは叶いそうもない。

「そっか。私、やっぱしカメレオンくんに嫌われてたんだね」

 その両手の主とは、レジで会計を済ませてきたばかりの緑川だった。緑川が右肘に抱える水族館特製のおしゃれな買い物袋からは、サメのぬいぐるみの頭の部分だけがちょうど手の握りこぶしくらい分ほどひょっこり顔を出していた。さすがに大きなサイズを買うのは諦めたようだ。

「別に怒ってないって。だってカメレオンくんの言うとおり、私は嘘つきだしね」
「…………」

 緑川の手の中で小さく固まってしまったカメレオンくんは、返す言葉を見失ってしまったようだ。AIだったらとりあえず答えを導き出して、なんでもいいから反応を示すものだと思うけど、こいつの場合、そう造られてはいないらしい。

「だけどカメレオンくんにこんな嘘つき呼ばわりされるなんて、私って自分で思ってるほど演技力はないのかもね」
「そんなの、演技力とか関係なくないかな?」
「そう言ってもらえるだけでも私は救われるのかな。だけどお姉さん、こんな風にカメレオンくんに心配されて、アニメの準主役なんか本当に務まるのか、少し不安になってきちゃった」

 緑川は独り言をこぼすように、いや実際に独り言だったのかもしれないそれを小さくつぶやいた。
 ……ん? 今さっき、なんて言った??

「アニメの準主役!??」

 俺よりひと足早くそれに反応したのは、普段アニメなんてほとんど観ていなさそうな上杉の方だったんだ。

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