つきみかふぇのらいとのべる

ちょっぴり苦めのコーヒーをどうぞ

エーデルシュティメ 第2話『オトメゴコロの目覚め』(前)

 人にはいろんな人間がいる。そんなの、誰だって知ってること。
 男と女。子供と大人。生きてる人と死んでる人。
 死んでる人なんて、目に映ることさえもないのだけどね。

 もちろん死んでる人にだって、ちゃんと種類は存在しているよ。
 前は生きてたけど、既に他界している人。
 この世に生まれてくる存在だったのに、それさえも叶わなかった人。
 後者は特に切ない。一度も日光を浴びれずに、自分の名前さえも存在しないのだから。

 だけどもしその人が生まれてきたならば、ずっと傍で笑っていてほしい。
 だってみんなが笑顔でいれば、私のいるこの場所は絶対楽しくなると思わない?
 みんなが心の底から笑っていれたら、戦争なんてこの世界からなくなると思わない?

 だからこれが私の使命。やるべきことをやって、世界中の人を笑わせてやるんだって。
 ここまでみんなに育ててもらったことに感謝しつつ、今度は私が世界へ笑顔を届けるんだって。

 そして私だって、いつまでも笑っていたい。

 ……そのはずだったんだけどさ。私の部屋の風呂場に覗き魔が現れたらしいんだ。
 もっともこんな可愛い女の子が、男子寮に暮らしてること自体そもそも不思議なんだけどね。


「…………」
「だ、だからごめんって。てかなんで風呂場の内鍵をかけておかなかったんだよ」
「かけたもん! 僕ちゃんと鍵かけてたはずなのに、なんで!!」

 男子寮二号館、八九七号室。ここの唯一の男子住民である大樹くんは、共同生活初日から女子の風呂場の覗きの嫌疑をかけられていた。思春期真っ只中の女子二人が暮らすこの部屋において、脱衣所の扉を何一つ躊躇なく開けたことは即刻追放!……と言いたいところだけど、さすがに春早々それは物騒すぎるので止めておきたいとこだよね。

「でも大樹くんってさ、ルームメイトのもう一人が上杉さんだってことは知ってたんだよね?」
「あ、ああ。その話は今朝寮長さんと友人から聞いてはいた」
「てことはやっぱり上杉さんという女子の裸を見たかったから思いっきりドアを開けたんじゃないの?」
「なんでそうなるんだよ!?」
「だってほら、大樹くんって年頃の男の子だし、女の子の裸くらい興味あるでしょ?」
「お前、さっきと言ってることが違ってね〜か!?」

 失礼な。私は内鍵がついてるから男の子と同じ部屋でも大丈夫と言っただけであって、どこでも構わず扉を開けてしまう変態くんと同棲なんてことは残念ながらごめんだよ。

「…………」
「……いやだからそんな目で俺を睨むなって」

 ちなみに迷子の野良犬を観察するかのような目で大樹くんを睨み続けているのは、もちろん私ではない。およそ自分の裸を見られてしまった上杉さんの方だった。ただしどう見たってその様子は怒っているという風でもなく、ただ困惑しているだけかのよう。ショックを受けてるとは全く別の印象だ。ま、もっともこのいかにも鈍感そうな大樹くんには、そんな上杉さんの乙女心なんて天と地がひっくり返っても気づかないんじゃないかな。

「第一、俺は上杉のこと、女子とは思ってな……」
「っ……」

 と、私の予想を裏付けるかのごとく、今度こそ上杉さんは威嚇する目つきで大樹くんをきっと睨みつけている。いくら鈍感とはいえ、上杉さんの豹変ぶりはさすがに感じ取って慌てて口を止めたようだ。だけど完全に後の祭り。残念ながら上杉さんにはしっかり語尾まで伝わってしまったらしい。
 山崎上杉家第三十九代当主の一人娘。それが上杉さんの正体。この地域の人だったら誰でも知ってると思ってたけど、残念ながら大樹くんは例外だったようだ。上杉さんはお家の跡継ぎ候補筆頭として育てられ、中学校では男子の制服、所謂学ランを親に着せられていたせいで、大樹くんのように性別を勘違いをしてる人は周囲に何人かいたのだとか。高校生になってようやく生まれて初めて女子の制服を買ってもらったものの、風呂から出た後の紺色の無地のシャツを着こなす姿は、どうしてもいいところのお嬢さんというより、清楚なお兄さんという印象を受けてしまう。やや仕方ないことなのかもしれない。

「とりあえず今度上杉さんの私服を探しに買い物ついていってあげないとね」
「よ、よろしくお願いします」

 こんな可愛い同世代女子のお誘いに対しても、やはりどこか無愛想だ。それにしても大樹くんといい上杉さんといい、この部屋は難しそうな人ばかりなのは気のせいかな。

「……ん? なに? 大樹くんも私達と一緒に買い物したいの?」
「ば、ばか。んなこと言ってねーよ」
「覗き魔くんだったら女の子がどんな下着をつけてるのか、絶対チェックしときたいもんね〜」
「俺は覗き魔じゃね〜!!」

 大樹くんは強く反発してくる。むしろこれくらいじゃないと調子が狂ってしまうのは私の方だ。
 実のところ、上杉さんが内鍵をかけていたことは私はちゃんと確認していたんだ。だから大樹くんが覗き魔ではないことも確認済み。そのはずなのになんで洗面所の扉を開けることができたのか、疑問として残る部分もまだある。無骨そうな大樹くんが洗面所の鍵を壊してしまったのかと思ったけど、どこにも鍵が壊れた様子もないのだから尚更たちが悪い。

 何が一番困るって、これでは私も防ぎようがないんだよな。男子が住んでる男子寮で住むことに同意はしたけど、まさか内鍵が使い物にならないなんて。しかもその原因がわからないことには対処方法さえ見当たらないのだから。もし仮に、万一の話だけど、私達の目には見えない人間がこの近くの何処かにいて、その人間が内鍵を開けたのだとしたら……。

 私、幽霊だけは本当に苦手なんだけどな〜……。

後編へ

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